セミリタイア生活 3年目に入りました。

今年4月1日で無事セミリタ生活が3年目に入りました。

昨冬までのセミリタ礼讃の雰囲気から 一気にサラリーマンマンセーの雰囲気になって世論って怖いなあと改めて思います。

このセミリタ 結構 貴重な経験なんですが、(別にセミリタを礼讃するわけではなく、貴方のパーソナリティーによって向き不向きが大きくあります)それを経験できない、しないのは人生にとって大きな機会損失だと思っています。また これからは セミリタを経験を出来ないまま、病気や事故等で亡くなっていく人も多くいらっしゃるでしょう。

仮に貴方の性格がセミリタに向いていたら、貴方のそのライフスタイルは何物にも縛られない本当の意味での精神的な自由を獲得できるんじゃないでしょうかね。

まず私がセミリタに踏み切る直前の49歳ごろの状況について振り返ってみます。

①会社編

当時 新卒以来 25年間同じ会社で働いていました。

45歳の時、突然 会社が統合しました。統合相手は、すでに3度の大リストラを行い 企業としてはすでに死に体。でも会社が死に体でも リストラに応じずそこで働く人達って 当事者意識が全く無い人がすごく多いですねえ。もう廃人みたいなww

会社が統合して、欧米企業のようにドラスティックに リストラ等できればよかったのですが、日本には厳しい解雇規制があるわけで簡単にはリストラできず、世間では救済した側と言われたのですが、統合時の従業員数が統合相手がかなり上回っていたため 腐ったミカンのごとく、どんどん組織が悪化していく実感がありました。

そんな中で起きた上層部のクーデター。

がっちりマンデーの正月番組にも 出演してたようなカリスマ経営者でもあっさり更迭され、翌日から仕事がなくなる(←ここ重要)この現実。

②プライベート編

この頃、義理の弟が35歳の若さでステルス性の胃がんで亡くなりました。これは私には 相当 大ショックでした。普通に腹が痛いと言ってただけなのに、余命宣告されて本当に1年で亡くなってしまいました。

そんな中 私もガンに罹患しました。割腹手術時の恐怖は忘れることはできませんし、縫合箇所からの出血がある等術後の経過が悪く、命って本当に貴重だと実感しました。

健康は本当にそういう状況になってみないとわからないですよね。

ま そういう状況になったら もうすでに手遅れってことも多いんですが。。。

そのような外部環境で 当時すでにお金の算段もある程度ついていたので 50歳という年齢もあり セミリタに踏み切ったわけです。(正直 50歳はセミリタというには遅すぎで、どっちかと言えば人生のリセットの意味合いが大きいと思います)

また そんな外部環境の中、こんな思いも大きくなりました。

統合したとは言え 同じ会社に27年勤めていたので「あれ?俺の人生 この会社しか知らずに終わっちゃうの?」という思いや 22歳のころの就職活動の時は もっといろんな可能性があったはずだよなあという思い、また50歳という年齢を考えたとき、健康年齢考えると 実際に自由になる時間がたったの20年くらいしかないよなあという さまざまな思いもありました。

もう残りの人生は「後悔することなく好きなことやろう」と清水の舞台から飛ぶ降りような気持ちで退職したわけです。

(「あの時 これやっとけば良かった」と後悔するのが一番最悪です)

50歳 過ぎて 同じ会社にいる長くいる人は いくらヒラ社員でも そこそこリスペクトされますし、そこそこの高給も保証されますが、実は チャレンジしないこういうベテラン社員が会社に留まることが バブル後の30年間の日本という国の停滞を招き、それを見て新しいことにチャレンジしない若手社員が増えているのかなと思います。(廻りの社員にいい影響与えていますか?)

それに サラリーマンである限り、60歳(又は65歳)になれば 本人の意思に関係なく 突然 仕事を取り上げられ、世間知らずなまま社会に放り出されるわけで、(大企業勤務なんてその会社でのスキルは通用しますが、社外ではほぼ無価値な場合が多いです)その年齢でその事実に気づいたら リカバリーの時間も限られていますし、明らかに厳しいのは明白です。

仕事以外に何をすることが思い浮かばず、目的意識もなく消去法的にサラリーマンをされている方が多いのは否定しませんが、いずれ 来る定年や死との時間との闘い。今回の武漢肺炎に伴う世間の混乱時に改めて 自分自身の生き方、家族のあるべき姿等を考え直すいい機会になるのではないでしょうか?