サラリーマンは定年してからが本当に大変。同期の退職話3選

そろそろ院卒の同期が定年退職するお年頃になってきました。

そういえば、地方銀行に就職した大学の同期が 早期退職して地元のメーカーへ再就職したという年賀状が届いたりもしていました。

確かに地方銀行出身者は、財務諸表も読みこなせるでしょうから、中小企業診断士的なポジションかつ銀行とのコネクションを作るという意味では地元のメーカーには引っ張りダコでしょうね。

大企業勤務の人ほど 定年してからの居場所づくりは本当に大変だと思います。

私は10年早く退職し、居心地の良い時を過ごす時を術を見つけましたが、定年してからは社会の荒波が容赦なく襲いかかります。

なにせ大企業勤務で40年近く過ごしたわけでしょう?

その会社のこと以外はほぼ何も知らず ようは世間知らずはわけです。

大企業は早慶出身者など高学歴である程度”まともな”人が多いですよね。

世の中はそんなまともな人ばかりではありませんし、大企業の退職金等を狙う輩もたくさんいます。

日本人は雇われ脳の人が多いですから、再雇用を選ばず違う会社へ転職する人もいると思います。

まあ もちろん「〇〇という会社で部長をしてました。御社でも部長を」なんてバカなことを言ってはいけませんし、これ ラジオCMでも流れてますよね。

前職で統合した相手企業の社員は、退職前に取引先に発注額を増やして再就職を斡旋されるよう便宜を図った社員が多くいましたが、今ではほぼ壊滅しています。

中小企業だって特技のない社員を雇うほど余裕はないですからね。

うちの同期の定年退職後の話を紹介します。

①慶応理工院卒

定年後も再雇用で働いています。

私が退職した当時 再雇用は時給1000円でしたが、今はさすがに1200円はもらえているんでしょうか?(笑)

ホンダやダイキンのように70歳まで賃金と職制が保証される会社ではないので、大した仕事が与えられているわけではないと思います。

私なら70歳まで働ける会社には投資したいと思いませんけどね。

つまらない生き方ですが、本人の選択ですから仕方ないですよね。

猪木さんの

「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」

結局 人生で一度も行かなかったし、わからなかったという(笑)

そもそも 慶応の理系の院卒くらいの優秀な奴だからこそ、一歩を踏み出して欲しいし、いかにも今のチャレンジしない日本人っぽい感じがします。

大企業勤務の働かないおじさんは本当に働きません。

知らない人に一度見せてあげたいです。

②某Fラン卒

Fランなので、しがみつけば良かったのですが、早期退職しちゃいました。

退職金で某好立地で民泊大箱を買い大成功しています。

当時はコロナ過だったので安く買えたのが良かったようです。

(今では含み益凄いでしょうねえ)

さらに彼 北海道の某町と組んで町おこし的なことをしています。

ビザスク

で繋がったと言ってましたね。

今ではいろんなプラットフォームがあるので 面白そうな仕事も得やすいかもしれません。

③某ミッション系卒

都内の某大学の教授になりました。

彼も新卒時から手に職を持ってたほうで、入社後の本配属でほぼ100%営業職に配属されるのに、彼だけ専門職の部署に配属されました。(その発表の時は「おー」という歓声が上がったのを今でも覚えています)

大学教授は自分の研究もできるし、若者を接していつでも若さを維持できる、当然年とっても高給が維持できるとメリットだらけだと思います。

まあ 彼のお父さんは某一流高校の学長だったので、実家がそこそこ太いでしょうから実現できたってこともあるでしょうけどね。

まだ若い人にとって定年なんてまだ先だと思われるかもしれませんが、40歳過ぎたら本格的に何をしたいか、そのために何が必要か等戦略的に生きることが必要ではないでしょうか?

会社はいつまでも助けてくれませんよ。

今まで5部屋売却しましたが、4部屋はノムコムさん。当然買値より高値で売却していただきました。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする