1991年1月のヨーロッパ旅行

1991年1月にヨーロッパを卒業旅行で約3週間かけてぐるっと周遊しました。

そっ卒業旅行ですね。

当時の一番大きいトピックとしては、もちろん湾岸戦争が始まったこと。

多くの学生がヨーロッパ行き、卒業旅行を断念した年でもありました。

(このころの学生は、卒業旅行で海外に行くのが当たり前でした。今は国内旅行、いやそれも行かないんでしょうかね)

当然お金が無いので 両親から30万くらい借りました。

キャセイパシフィック航空の南廻り(時間はかかるけど安い)で香港、フランクフルトと乗り継ぎ、ジュネーブに降り立ったことを覚えています。

ジュネーブから ユーレイルパス(30日乗り放題で〇万円とか)を使って、ミラノ(ここで初めてヨーロッパサッカー体験インテル対アトランタ)、ローマへ。

そこから上へニース、バルセロナ(ここでフセインが降伏した話を車中で聞く)、マドリードへ。

なぜかモロッコを目指す。モロッコ側の町タンジェで恐怖体験。電車でアルジェリアとの国境の町を目指す。(砂漠の中の小さな町に中華料理屋があったのはびっくり)

逆の道をたどり、一路パリへ。パリからアムス、そしてドイツに入り、ベルリン、ミュンヘンあたりを廻って帰ってきた日程でした。

日程と言っても行き当たりばったりですが。。。

当時は寝台2等にも乗れたので、行程の半分以上が車中泊(笑)

ローマでは 寝ている隙に 窓の外から荷物取られそうになったなあ(爆)

今のようにスマホでなんでも済む時代じゃないので、旅行するのも大変な時代でした。

まず「リコンファーム」

帰国2時間前に航空会社に電話し、飛行機の搭乗を再確認しなければなりません。

これを怠ると最悪乗れないことに。

あと「両替」は 当然先日破綻したトーマスクックのトラベラーズチェック。

今の人は 何じゃトラベラーズチェックと思うかもしれませんが、現金と交換できる金券。

銀行へ持っていって、現金と交換するというもの。

銀行の営業時間に行かなきゃいけないから、当時のスペインはまだシエスタの習慣があったので 昼過ぎには銀行が閉まってしまい、両替できないとかありましたね。

「宿泊」もですねえ。今みたいにBooking.comでポチってなわけにはいかなくて,宿一軒一軒交渉です(笑)

値段もわかんないので、高ければ転身。

今みたいに口コミなんて見れないから 泊まるところは運も左右しましたね。

しっかし 原始的な時代だよなあ。

日本の多くの大学生はこういう旅行をしてたんですよ。

HISの澤田さんや深夜特急の沢木さんのころって さらにどんな旅行(特に両替)してたんですかね。

今まで5部屋売却しましたが、4部屋はノムコムさん。当然買値より高値で売却していただきました。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする